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新横綱誕生!!稀勢の里という力士に迫る

若ノ花以降日本人横綱は長らく誕生していませんでした。その期待を一身に背負い奮闘しているのが日本人大関稀勢の里でした。そして今回とうとう横綱になることができました。

 日本人横綱、稀勢の里について詳しく調べてみました。

稀勢の里の経歴

稀勢の里 寛は1986生まれで、茨城県牛久市出身です。田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属しています。本名は萩原寛( ゆたか)で身長188cm、体重171kgと日本人力士の中でも高身長で、かつハンサムです。

小学校4年生から野球をはじめます。野球選手としても優秀で、捕手や投手の経験があります。中3には地元の強豪常総学院から勧誘されるまでになります。そこで相撲の道を志します。鳴戸親方の必死の説得もあって、相撲の道に入ります。

入門後は、スピード昇進を果たし、勝ち星を上げ続けます。10代のころからふてぶてしさが残る取り組みで安定した相撲を続けます。十両昇進は、あの貴乃花親方の次に若い17歳9カ月という記録です。十両もわずか3場所で通過した。豊ノ島や琴欧州も同時に駆け抜けたため、期待のホープとしての注目度があがります。

幕内になって後の戦績

2004年、貴乃花に次ぐ年少18歳3カ月で新入幕となります。四股名を「稀勢の里」と現在のものに改名した。「稀な勢いで駆け上がる」と願いを込めて師匠が提案しました。本人も納得して気に入ってるとのことです。新入幕してからは、約一年は苦戦が続きます。

土俵際の逆転を頻繁が多く、詰めの甘い力士だといわれます。しかし若手だったこともあり、将来の横綱候補として早い段階から名前はあがっていました。

2005年に12勝3敗の好成績で優勝争いを演じ、敢闘賞を受賞します。19歳2カ月で三賞受賞は貴乃花、白鵬についでの若さです。しかし、翌場所で大きく負け越します。

2006年にはなんとか前頭で勝ち越し、三役昇進を果たします。19歳11ヶ月での三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ史上4位の記録です。この年、ようやく勝ち越しをずっと続け、危なげながらも力のある力士として認められるようになります。

その後、停滞期がつづきますが、2009年に初の関脇昇進を果たした。新関脇となってからの場所では負け越したため、1場所で関脇から陥落といういつもの悪い癖ができます。

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その後、自身最高となる13勝2敗の好成績をあげ、敢闘賞を受賞します。このときは惜しくも優勝をのがします。関脇に復帰し、朝青龍の全勝を止めて活躍します。

その後、さらに停滞しますが、2011年なんとか大関になります。大関として十分な成績ではないと言われましたが、基準をみたしたため昇進がみとめられます。

大関昇進後

2012年から2016年までは横綱挑戦の機会が3回ありましたがいずれもふがいない結果に終わり、モンゴル人力士の脇役程度にとどまってしまい、活躍できない日々が続きます。しかし、2016年には優勝がないものの年間最多勝を獲得し、安定した強さを発揮しはじめました。稀勢の里は不安定さがあったのが、安定してとりこぼしがかなり減ってきました。大関としての風格がでてきており、横綱に最も近い日本人として再度注目されるようになります。

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稀勢の里は勝利への欲望がやや足りない感じがありましたが、横綱への思いが強くなったのが、取り組み1番1番への力が入ってきていました。

横綱に何故なれたか

そして今場所、トップの成績をあげ、優勝に近い存在になりました。白鵬の絶対強者の時代から日本人力士も優勝が狙える時代になってきたことで稀勢の里の初優勝も近づいてきました。この場所で優勝をしたことと、白鵬を破ったことで14勝あげたことがとても評価しました。

日本人横綱と期待された琴奨菊は稽古への気合が足りず、とうとう関脇に転落してしまったので、メンタルが強くなった稀勢の里がその力を見せてほしいと思います。これから崩れることがないようにしてほしいです。

稀勢の里の恋愛

力士は美人のお嫁さんをもらっていますが、稀勢の里はまだ独身です。相撲に対して一生懸命ですが、まもなく結婚という噂もたっています。稀勢の里は遠藤に負けず劣らずイケメン力士なので今後の活躍次第では相撲人気を牽引できる存在になり得ます。

しかし、稀勢の里自身は独り身が好きなようでなかなか後援会の人たちもやきもきしているようです。